上天草市地域おこし協力隊 ~北海道から移住してみた~

地域おこし協力隊活動と上天草の魅力を発信します

どんどや

2023.1.9(月)
新年あけましておめでとうございます🎍
昨年末から孫5号(2歳)と6号(7か月)が来ているため、賑やかな年越しからいつの間にか新年を迎えておりましたが、齢60に手が届きそうな私たち夫婦は体力の衰えを痛感しつつも未だ消耗戦の真っ最中ながら、年明け恒例の「どんどや」を幾つか見物してまいりましたのでご紹介いたします。

まずは、7日(土)に行われた「樋合永浦」
夜中は雨が降っていたようですし風も治まる気配が無いのでコリャ延期かなぁ~と思っていたら、五号橋の向こうに見える樋合島の海沿いを赤色灯が移動しているじゃありませんか🚒
そうなれば、つい先ほど防湿庫に収めてしまったカメラを詰め込む時間が勿体ないので、スマホをポケットに入れて安全に猛ダッシュ🚙💨
既に上がった火を眺めながら車を停めて飛び出した先に見付けましたのは、日ごろからお世話になっている市社協の藤Kさん、生活支援コーディネーター(SC)のS内さん。
そして、樋合永浦地区社協会長さんにも新年のご挨拶できて先ずは何よりでした。

昨年は、買って間もないジンバル(カメラで動画を撮る時にブレを抑える機材)に溢してしまいまして、「ぜんざい」なのに「苦い思い出」とはこれ如何に、という次第ですが、今年は手の平で済みまして安泰でございました👍

何より、冷えた朝にいただく温かい「ぜんざい」はとても美味しく、準備して下さった皆さんに心から感謝いたします。ごちそうさまでした。

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さて次の日の8日(日)は、姫戸のヤングマン坂T氏から「どんどや情報」をいただきまして、「牟田」と「二間戸」を訪問してまいりました。

去年、昨年「樋合永浦」でいただいた「ぜんざい」が美味しかったと次女に伝えたところ、是非に行きたいと翌朝子供たちに着せる服を準備していたにも関わらず出発の刻には未明に起きた孫二人は爆睡だったため7日の「樋合永浦」は敢え無く断念・・・というワケで、姫戸会場はお日様が昇っている時間ということもあり、家族全員で出掛けて来ました🚙

牟田地区社協会長さんとお会いするのは昨年6月に行われた「地域座談会」以来でしたが、覚えていていただいてとても嬉しかったです。

逆光で撮る画はどんなかな~と回り込みましたら、昨年5月「ボッチャ」の紹介で牟田公民館を訪問した際にいらした方から声を掛けていただき、いろいろとお話を伺うことができました。

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そろそろ二間戸の「どんどや」に火が点けられる時間なので、姫戸のヤングマン坂T氏に「先に行くねー」と声を掛け、車内でグズリのピークを迎えた孫たちと共に出発💨

二間戸地区社協会長さんのご挨拶
私は、地区社協会長さんというより、一昨年来の「敬老の日事業」や昨年の「七夕まつり」準備などの取材に関し、“神代自治公民館長さん”としてもたいへんお世話になっております。

孫6号を抱いた次女の後姿とともに。
この後、孫5号とともに念願だった「ぜんざい」をいただくことが出来て、北海道とは違う風土に触れることが叶ったいい機会になったと思います。

久しぶりにご挨拶することができた「二間戸悠遊広場」という上天草市唯一の「通所型サービスB」を運営する代表者さんは相変わらずパワフルで、ホイホイと脇にあった裁ち枝を火の中に放り込んでいました🔥

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地域おこし協力隊として活動を開始してから3年連続で訪問させていただいた「樋合永浦」、昨年に引き続いての「二間戸」、そして、ほんの僅かな時間ながら有意義な時間を持つことができた「牟田」
それぞれの場所で受け継がれている「どんどや」という地域の姿に今年も触れさせていただけたことに深く感謝いたします。
各地区社協を核心として準備に当たられた地域の皆さん、本当にありがとうございました。

さて、あの太く高く聳える阿村の「どんどや」が中止になったのを知ったのは、遠くのスピーカーから流れている放送がいつになくよく聞こえたからですが、そう言えば、松島町の「どんどや」をサッパリ見物しなかったなぁ・・・と考えながらジョギングコースの中村の辺りまで来ましたら、“かよいの場”「今津第六自治公民館」のすぐ傍の畑の中に「どんどや」が設えてありました。

足元しか気にしていない、というか、日ごろから周りを眺める余裕すらないのですが、せっかくなのでジョギング経路中の「どんどや」を探してみよう!ということで先辺の方も回ってみましたけれど、残念ながら復路で見つけられたのは今村の“かよいの場”「ひまわり会」の前の畑にあった「どんどや」のみ。

正月の松飾りなどを抱えて来たご婦人に明日の天気が気がかりですねと伺いましたら、「夜中にザーッと降って明け方には止むみたいね」的なことを仰っていましたが、この次の日の7日については冒頭の「樋合永浦」について書きましたとおり。

雨に晒されて火が回りにくかったかもしれませんが、一昨日、またジョギングで付近を通った時には中村も今村も“焦げ跡”しか残っていませんでしたので、新年の恒例行事は無事に終えたようです。