2022.12.1(木)
先月の30日・・・と言いましても、つい昨日のことですが、アロマ(松島総合センター)で開催した「住民講座『人生会議をやってみよう!~あなたらしい生き方の伝え方~』」を見学してまいりました。
空っ風の吹き荒ぶ中、来場車両の誘導にあたる高齢者ふれあい課の黒D係長さんと小走りのままご挨拶して玄関に飛び込みロビーで受け付け中の方々の脇を抜けて撮影動線の確認にホールへと向かいましたら既に120名ほどの後姿がありまして、週の中日の平日というタイミングながら、皆さんの関心の高さが伺えました。
さて壇上はと言えば、あら、上天草市ボランティア連絡協議会の会長さん・・・と思いきや、この日は「上天草市在宅医療・介護連携推進協議会」の住民相談部会の代表者さんとして講座の進行を担われていました。
そして、講師は、お隣の天草市宮地岳町で下島を中心に在宅医療を行っている「在宅とつながるクリニック天草」(※1)の院長「倉本剛史」氏
長崎県出身の氏は、医学部卒業後も長崎市内で勤務された後、苓北町のクリニック勤務で医師不足という“へき地医療”の実際に触れ、また、医師の急逝により“無医地区”になったところに住む方々が健康のことを気軽に相談できる場所として「NPO法人つなぐ」を立ち上げて訪問看護ステーションを始動。独立後は、過疎化により必要性が増加するであろう“在宅医療”の普及を目指し、在宅医療や訪問診療はもちろん、「医療も含めた“地域づくり”には、専門職だけでなく地域活性化のために色んな取り組みをしている人たちも入れていかないと完成しない。」という思いも深く地域の方々と積極的に交流を重ね、その合間を縫って人生会議の啓発や天草の医療の現状と取り組みの紹介に講演で飛び回り(参考:coFFee doctors(※2))・・・と多忙な日々を送られている中、講座の撮影と情報発信のお願いに快く許可をいただきました。
さて、「壇上で話すのは苦手なので・・・。」と仰っていたとおり、自己紹介と開業に至る経緯などお話されたら、「宮地岳に来た事ある方いらっしゃいますか?」、「宮地岳に最近できたもの知ってますか?」と早速ステージを降りて来られました。
でも、まさかマイクを向けられるなど思っていなかったでしょうから、ビクッ!てなっちゃいますよね~😅
でもでも、紹介された「道の駅 宮地岳かかしの里」の写真にあった“闇に浮かぶかかし”を運転中に見たら、ビクッ!どころでは済まないかも知れませんね・・・👻
この“かかし”の数は、町の人口(440人)より多い560体ほど、そして、毎年40体ほどずつ増えているそうですから、北海道には人口6,000人に対して約7万頭の牛が飼育されている士幌町などをはじめ「人より牛の数が多い」と揶揄されている町は幾つもありますけれど、宮地岳の場合は“かかし”が益々幅を利かせていくことが予想されますので、住民税や健康保険税の徴収を考えていく必要がありそうですね~💴
本講演が行われた「11月30日」は、「いい(11)み(3)とられ(0)=良い看取られ」の語呂合わせで「人生会議の日」・・・こんなにも講座テーマとタイミングがピッタリなことって、そう無いですよね。
個人的には、1977(昭和52)年に小西六写真工業が世界初の自動焦点カメラ「コニカC35AF(通称:ジャスピンコニカ)」を発売した日に因んだ「オートフォーカスカメラの日」の方が気になりますが、これはまた別の機会に・・・。
「死ぬときぐらい好きにさせてよ」
2016年1月、女優の樹木希林さんが新聞広告でこのように〝終活宣言〟したことは、洋画家の名作(オフィーリア/ジョン・エヴァレット・ミレイ画)をモチーフにした美しいビジュアルと、「死」をテーマにしたキャッチコピーからとても話題になりましたね。
センセーショナルな扱いもあったようですが、“死ぬときぐらい”・・・とそれまで押し殺していた諸々から自らを解放して“自分らしく”身じまいをしたいという願いは決してワガママではなく、「いかに死ぬか=いかに生きるか」という「幸せ」の探求のひとつのカタチなんだと感じます。
そして、10人いれば10通りの、100人いれば100通りの「幸せ」があるのですから、それを叶えるカタチも幾つもあろうかと思います。でも、それを、貴方が思い描く「幸せ」を、黙って胸の内に秘めているだけでは勿体ない。
もし、貴方の描く「幸せ」が、貴方の周りの誰かと共有出来ていたら、最期まで“貴方らしく”あり続けられる手伝いをしてもらえるはず。また、家族が、大切な人が、「貴方なら」と、物言えぬ貴方の思いに寄り添うことも出来るはず。
だから必要なんですね、「人生会議」って機会が。
講師の倉本院長の母上は、ベーチェット病という難病に起因する肺炎(間質性肺炎:炎症によって肺胞壁が厚く硬くなることで肺がうまく膨らまなくなるため、息苦しさを感じたり咳が出たりし、進行すると呼吸不全になる。)を患い残念ながらお亡くなりになったそうですが、生前は、検査所見から予後を見た「医師」である「息子」として非常に苦悩されたとお話がありました。
訪問した患者さんと接する中で「何か伝えたいことがある」と感じていたところ、勧めた「わたしのノート」で家族に書き残すことが出来た機会があったそうですが、同じように「書いてみる?」と母親に勧めれば「私は、そんなに悪いのか・・・。」となるだろうし、「何か伝えたいことはない?」と聞けば「医者をしてる息子がそんなこと聞いてきた。私にはもう後がないのか・・・。」と思われてしまうので、なかなか切り出せずにいたそうですが、日ごろの会話の中から無闇な延命治療を望んでいないことが分かり、そして、旦那さんと一緒に入りたくないので墓は作ってくれるな、ということも明らかに(笑)
ただ、「遺骨は天草の海に流して欲しい。」という希望を聞いていたので、母の願いを叶えてあげられた、そして、天草の海を見る度に心で手を合わせていると、家族として穏やかな今があるということでした。
それは、大切な人の「幸せ」のカタチを生前に知っていたから、ということですね。
突然ですが、倉本院長が苦悩されたエピソードを聞いていて「サトラレ®」という映画を思い出しました。
「サトラレは、思考が思念波となって周囲に伝播してしまう・・・。」分かり易く言えば「思ったことが他人に伝わってしまう」と非常に厄介なもので、何ということか主人公は守秘義務の塊「医師」という職業
そして、主人公の祖母を演じるのは、齢を重ねてなお可憐で慎ましい美しさを湛えた八千草薫・・・その祖母は病気なんです、でも、「医師」である孫は手遅れなのを伝えられない・・・でも「サトラレ」だから祖母に心の声が聞こえてしまう😢
そんな「本人に事実を伏せていた。」という設定は、映画「サトラレ®」が2001年の作品だったからでしょ?今の世の中は「インフォームド・コンセント(informed consent/説明を受け納得したうえでの同意)」に基づいて医療行為が行われるようになっていますよね・・・というご指摘があるかも知れませんが、医療やケアを受ける人のキモチを繋ぐためにはコンセントも延長コードもありませんので、「人生会議」や「わたしのノート」の活用を少しずつ進めていくのが「もしも」の時に慌てない秘訣、だと思います🔌
ということで、急ブレーキを掛けたものの力及ばず脱線してしまいましたが、「将来の医療の選択」について「医療者」側からは切り出し難い、というお話から立て直してみようと思います。
患者さんが「最期にどんな医療を受けたいですか?」と医師に聞かれたらビックリしますよね?と仰っていたとおり、前述の母上とのエピソード同様に「私は、そんなに悪いのか・・・。」とか「私にはもう後がないのか・・・。」と無闇にストレスを与えてしまうだけなので、「ちょっと相談したいんだけど。」と機会を捉えて話をして欲しい、とのことでした。
ですので、かかりつけの病院で診てもらった折に、医師でも看護師でも薬剤師でも、話しやすい方に「ちょっと聞いて欲しいことのあるけん。」と、ご自身の、または、ご家族の「幸せ」を叶えることについて少しずつお話してみることから始めてみると良さそうですね。
そして、「人生会議」は家族や大切な人と「繰り返し話し合うこと」が大切だと言われました。それは、時間や状況が、その時に望んでいた「幸せ」のカタチを変えて行くから、ということだそうです。
それを実感するために、まずは「私の希望表明書」の記入(チェック)を会場の皆さんで行います。
点滴・輸血・人工呼吸器・心肺蘇生など「希望する医療措置」について、経口食だけ・胃ろう栄養・中心静脈栄養など「希望する栄養や水分補給」について、鎮痛剤等による疼痛除去・自分以外のケアなどの「緩和ケア」、「意思の疎通ができなくなったとき」について、そして、「最期の過ごし方」などについて、「今」のフラットなキモチでチェックします✍
皆さん書き上げたようですので、次の状況になったとしたら「私の希望表明書」にチェックした項目に変化があるか無いか、についての体験です。
ケース1は、認知症で配食サービスを受けていたが食事も排泄も出来ていた方が、“誤嚥性肺炎”で入院して以降次第に虚弱となり、食事ばかりでなく服薬も難しくなってきた、というもの。
ケース2は、胆管がんを再発し、肝性脳症のため意識障害もあり、残された時間は週単位。骨転移で体動時に疼痛あり、食欲低下顕著で、服薬に苦労している。配偶者の他に独立している子が二人、という状況
ケース3は、心不全と呼吸不全の急性憎悪でたびたび入院し、今回は助からないかもと言われながらも何とか退院できた、という場合
正解🎯!というのは勿論ありませんが、「フラットなキモチ」でチェックした意思の表明が、予想だにしない事象によって「〇〇と思っていたけど、●●なら□□だなぁ。」と変わり得る、ということを体験するにはとっても有意義ではなかったでしょうか。
そして、指定難病に罹患した方のエピソードでは、当初延命処置を拒んだものの、娘さんの呼ぶ声で生死の境から還り「生きる」ことにスイッチを入れ直し、現在も存命で尚且つご自身がヘルパーサービスを受けにくかったことから障害福祉サービスの事業所を自ら立ち上げられ、今では地域福祉に貢献されているというお話には、「変える」ことで広がる「幸せ」という可能性を強く感じました
倉本院長が、おしまいに「自分が何を大切にしているか考えましょう」、「信頼できる人を考えましょう」、「信頼できる医療者を見つけて、話しましょう」、「みんなで話し合いましょう」、「想いは変化するため、繰り返し話し合いましょう」とまとめられましたとおり、まずは自分の「幸せ」について考え、そして、自分だけで思っていたり考えていても「幸せ」は叶えにくいので「話し合う」ということがとても大切、ということを講座を通じて再認識することができました。
質疑では、残念ながら天草圏域に「ホスピス(※3)」は無いという回答ながら「ホスピス的なものを作る動きはある」ということでしたので、「いかに死ぬか=いかに生きるか」という「幸せ」を探求する道を照らしてもらえるよう、今後に期待するといたしましょう。
また、「日常生活が“会議”の場であると思い、また、一日一日が大切だと感じた。高齢化の時代の中で、家族はもとより近隣同士で助け合いながら、人生会議などを進めていくことが大事だと、反省を含め痛感した。」と締め括りにはこれ以上ない感想が述べられ、「上天草市在宅医療・介護連携推進協議会」の住民相談部会の代表者さんからの謝辞で「住民講座『人生会議をやってみよう!~あなたらしい生き方の伝え方~』」は終了となりました。
「在宅とつながるクリニック天草」の倉本剛史院長には、情報の発信についてご理解ご協力いただきまして深く感謝申し上げます。
また、拙文はもとより、記し足りないことが多い事かと思いますが、浅学に免じてご容赦下さいますよう重ねてお願い申し上げます。
※1:倉本剛史医師が院長を務められている「在宅とつながるクリニック天草」のサイト(Facebook)のリンクを勝手に貼らせていただきました。
https://www.facebook.com/profile.php?id=100063473086286
※2:文頭で倉本院長の紹介文を引用した「coFFee doctors」というサイトは、以下のリンクからご覧になれます。
coffeedoctors.jp※3:ホスピス(hospice)とは、終末期患者の痛みや症状の緩和に焦点を当て、人生の終わりに彼らの感情的および精神的な要求に対処することに焦点を当てた医療の一種(出典:Wikipedia)