上天草市地域おこし協力隊 ~北海道から移住してみた~

地域おこし協力隊活動と上天草の魅力を発信します

「上八幡宮例大祭」 ~お下り~

2022.10.15(土)
本日は、先ごろ大矢野町は上地区で行われた「上八幡宮例大祭」の雰囲気について「例大祭当日の写真はカメラマンやスマホを携えた数多の方々にお任せ」と先のブログで書きはしたものの、やはり私の目線もお伝えしたいなぁ~の第一弾として初日(10月8日)の「お下り」についてのレポートです。
いつもは静まり返っている上八幡宮の境内に多くの方々が集まり、そして、神幸行列を一目見ようと、また、獅子に噛んでもらおうと沿道にもたくさんの人々が出ていましたし、御仮屋の前で披露された獅子舞いを見物しようと人垣が幾重にも出来ていた雰囲気が少しでも伝われば嬉しいです・・・って、もう先週の事になるんですねぇ😅ハヤカナー

とその前に、この日を迎えることが出来たのは、江樋戸や上新田の青少年たちが積み上げて来た努力があってこそですので、以下の記事から、前日まで行われた練習の雰囲気も知っていただければ更に嬉しいです。

🌞さて、お祭り日和のいいお天気になりました10月8日(土)は、「江樋戸江源会(えびとこうげんかい)」の代表者さんからいただいたスケジュールによれば、朝から近隣の保育園や大矢野老人福祉センター、そして、さんぱーるや藍のあまくさ村などを練り歩き、昼からの「神幸(しんこう)行列」を前にして早くも“お祭りモード”で動き出していたようです・・・が、私は「上天草高等学校ボランティア部」の呼びかけで行われた「宮津海遊公園清掃活動」(※)の取材で午前中動いていたため、「奴踊り」の着付けが行われていた江樋戸公民館から“お祭りモード”にスイッチオン。

お昼前の本宮は、人も疎らでとても静か。

「お下り」レポートの締め括りは、江樋戸公民館で行われた練習を取材に行った際に「江樋戸江源会」の代表者さんからいただいた「上八幡宮例大祭と神幸行列」についての資料(一部加筆)を紹介いたします。

『上天草市大矢野町にある上八幡宮は、応神(おうじん)天皇とその母である神功(じんぐう)皇后、比売大神(ひめのおおかみ)を御神祭とし、1661年(寛文元年/皇紀2321年)に大分県の宇佐八幡神宮から分霊された。五穀豊穣と大漁を祈願する神幸(しんこう)式は、1751年(宝暦元年)に始まったと言われ、その歴史は270年にもなる。神幸式は、上八幡宮例大祭として10月の第2土・日曜日に開催されており、初日は本宮から江樋戸地区の御仮屋(おかりや)まで進む「お下(くだ)り」、翌日は、本宮まで帰る「お上(のぼ)り」と呼ばれる神幸行列が行われる。この神幸行列では、上地区内の17の集落から1基ずつ奉納された「傘鉾(かさほこ/大きな傘の上に豊臣秀吉や加藤清正などの人形を飾りつけたもの)」を先頭に、獅子舞や地域の青年たち約30名で構成された「奴踊り」が「征夷討行征(せいいいとうごうせい)」と勇壮な掛け声を上げつつ進み、その後ろには、「お下り」と「お上り」で異なる化粧を施した子供たちによる「豊年万作踊り」が続く。獅子舞いは、全国各地にある伝統芸能のひとつであり、舞い方や舞う人数などに様々な形態があるが、例大祭両日の大取として披露される上八幡宮獅子舞いは、軽快ながらも重厚感のある和太鼓の調子と銅鑼(どら)と篠笛(しのぶえ)の音(ね)に合わせ、「ちょごろ」と呼ばれる“子ども獅子取り”が一頭の勇壮な獅子を操るところが見所である。』

獅子舞いには、「疫病退治」や「悪魔祓い」という意味があるらしく、そこから「獅子舞が人々の頭を噛むことで、その人についている邪気を食べる」や「獅子舞に頭を噛まれるとその年にご利益がもたらされる」という風習になっているそうですから、獅子舞を見つけたら歯型が残るくらいガッツリ噛んでもらいましょう😁

・・・さて、数百枚撮った中からご紹介できるシーンを選び出し、それをご紹介できるようにと編集作業を行っているものの、急く思いとは裏腹に機械が機嫌を損ねるため遅々として作業が進まない中、突如、右の視界がおかしくなり眼科受診しましたら網膜裂孔&網膜剥離で失明の危機!
そんなアクシデントを乗り越えて「上八幡宮例大祭」のレポートは後編『お上り』に続くのか、乞うご期待っ!

※「お下り」と同じ日、上天草高等学校ボランティア部の呼びかけで行われた「宮津海遊公園清掃活動」については、以下のリンクからご覧ください。

kami-amakusa.hatenablog.jp

「上八幡宮例大祭~お上り~」については、以下のリンクからご覧ください。

kami-amakusa.hatenablog.jp