上天草市地域おこし協力隊 ~北海道から移住してみた~

地域おこし協力隊活動と上天草の魅力を発信します

蔵々の祈り ~十九社宮神事~

2021.12.3(金)
本日は、ポツポツと落ちて来る雨を避けながら昨夕に引き続き維和島の蔵々(ぞうぞう)へと行ってまいりました。
本日の維和島訪問の理由は、蔵々で祀られる十九社宮の「例祭」の見学でありまして、“昨夕”の件は後述するといたします。
例年は、維和小に通う児童らによる「奉納相撲」が行われて賑わいを見せる行事であったそうですが、残念ながら昨年に引き続きの中止になりましたけれど、平穏な日々を取り戻したい皆さんの思いを込めた「コロナ終息祈願祭」が執り行われました。

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「七転八倒」じゃなくて何よりですが、神様の家に落書きするというのはどうなんでしょうね・・・⚡

さて、厳かに祭事は執り行われたのですが、儀式に入る前の雰囲気を動画で撮影いたしましたので以下のリンクからご覧くださいませ🎬

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宮司から神事奉納の終了が告げられ、参拝された皆さんに紅白餅やお神酒が振る舞われました。
程なくして人口密度が急激に下がった拝殿では男性諸氏による片付けが始まりましたので、現地合流したSC(生活支援コーディネーター)の山Kさんとともにお宮をあとにいたしました。

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さて、前述しました“昨夕の件”と言いますのは、2日(木)の日中に“しめ縄”の張り替えは済ませたようで、夕方から十九社宮の「例祭」の準備をするそうですよ~とSCの山Kさんから情報をいただきまして、地域の皆さんが寄り合う場を訪問できるなんて!とスッ飛んで行って来たというお話しであります。

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情報の渋滞により真っ暗な十九社宮の鳥居前の広場を彷徨っていたので、公民館に着いた時には既に餅丸めが進んでおりましたが、このワイワイとした雰囲気を見学させていただくだけでテンションが上がります⤴
このワイワイとした中、蔵々の自治会長さんから「地域おこし協力隊の~📣」とご紹介いただきましたが、餅と対峙中ながら耳だけは傾けて下さったようで、「あんたぁ熊日んひとかい?」と聞かれたのは一度だけで安堵いたしました📰

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例祭前夜の楽しい雰囲気と、餅丸めの匠の技は、以下のリンクからご覧ください🎬

・・・いろんな災禍が降りかかって来ても、穢れを祓って立ち上がることが出来れば、苦しんだことも流した涙も“ただの思い出”になるのかも知れません。
しかしそれは立ち上がった時に感じる思いであって、その真っ只中にいる時は顔を上がれば見えるはずの光に気付かず、足元ばかりが気になってしまうものです。
コロナ禍という“非日常”は、「新たな生活様式」という名のもとに“日常”になりつつありますが、古来から“日常”を意味する「ケ(褻)」が破られ「ケガレ(穢)」が長らく続く昨今、祭事(ハレ)によって日常を取り戻すという作業から光明を見出すのは日本人にとって至極当然の慣わしではありますが、今回はその場に立ち会えるという稀有な機会になりました。

日頃から地域おこし協力隊の活動にご理解をいただいている蔵々自治会長さん、そして、例祭前夜の飛び込み訪問から快く受け入れて下さった地域の皆さん、貴重な機会を学ばせていただきましたことに深く感謝申し上げます。

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※注連縄の「しめ」とは「占める」ことを指し、縄が神域と俗界を分けるものであることを表す。古語の「しりくめなわ」は、尻(端)を切らないで垂らしておく縄の意。なお、「注連縄」と書いた時の注連(ちゅうれん)とは、中国において死者が出た家の門に張る縄のことで、故人の霊が再び帰ってこないようにした風習である。これが門に縄を渡すさまや、霊的な結界であることが日本のしめ縄と似ているので字を当てた。(引用:Wikipedia)・・・という解釈もあるようですので、本文においては記述を「しめ縄」にいたしました。