2021.1.7(木)
本日は、維和島は”蔵々”で行われた「どんどや」に行ってまいりましたので、その様子をお伝えいたします。
その「どんどや」ですが、元々、正月の松飾りなどの家々から持ち寄ったものを一箇所に積み上げて燃やす”小正月”(※)の行事のひとつでしたが、門松や注連飾りで出迎えた歳神をそれらを焼くことによって炎と共に見送るという意味合いの風習と、”どんどやの火に当たる”とか”残り火で鏡餅を焼いて食べる”ということで「1年間は健康」という言い伝えもあって、その年の無病息災や五穀豊穣を祈る行事としてこうして皆さんの手で毎年行われているワケですね。
※小正月:旧暦では、その年の最初の満月にあたる1月15日が「正月」でしたが、太陽暦を用いるようになって以降、1年の最初の日の元旦を”正月”と言うようになり、1月1日を「大正月」、1月15日を「小正月」と言うようになったそうです。 また、1月7日は「七日(なぬか)正月」とも言い、七草粥(かゆ)を食べて1年の無病息災を願う日でもあります。
そして、熊本圏では「どんどや」と呼ぶのが多いようですが、九州に範囲を広げますと「鬼火焚き(おにびたき)」、「おねび」、「ほっけんぎょう」など、また全国各地には「とんど焼き」「さいと焼き」「さぎちょう」などと言う地方もあり、また、本日のように「7日正月にあたる日(1月6日の夜または1月7日の朝)」に行う地域もあれば、「小正月」に行う地域もありるようですが、伝統の行事を様々な方法とカタチで継承しているのは素敵なことだと思います。
鏡餅にしっかり火が通るまで焼くとなれば、「でろーーーん」となってしまいますので、”炙る”といった方が適切かもしれません。
皆さん、持ち寄った鏡餅を先を割った竹に挟んで「どんどや」の火に当たらせています。
小学校で飾られていた門松🎍もその役目を終えて「どんどや」の火に放り込まれます。 あ、ヘルメットを被っている方は”学生運動”を抜け出して重要書類を燃やしに来たワケでは決してありませんで誤解無きように・・・・・・ですよね自治会長さん(*゚∀゚)ノ!
維和島地区で、島内の世代間交流や既存イベントの運営サポートと収益化、情報発信などを行っている「上天草市地域おこし協力隊」の☆野さんが、モデルさんと”どんどやと鏡餅焼き”的なイメージで撮影をしているところを撮影させていただきました📷
さて、「7日正月」にあたる日とあって、本日は”樋合永浦”や同じく維和島の”千束”でも「どんどや」を予定していたものの、あいにくの荒天により双方とも延期の決心がされましたが、ここ”蔵々”は、十九社宮から連なる山に囲まれているためか風の影響が大きくないようで、計画のとおり行えたのはホントに何よりでしたね👍
ところで、「私が子供のころは・・・」とお話し下さった方も自治会長さんも口を揃えて「子供がいない」、と年々の参加者の高齢化を憂いていらっしゃいました。
今回は、この”コロナ禍”の影響で里帰りを断念した可能性もその一因と捉えることはできても、本日の「どんどや」に限らず”地域行事”は人と人とを介する機会であり、また子供たちにとっては”伝統”を目に焼き付ける機会でもあるはずですが、10年後、20年後もこうして「蔵々の火」を燃やすことだけを考えても多くの課題があると感じました・・・。