上天草市地域おこし協力隊 ~北海道から移住してみた~

地域おこし協力隊活動と上天草の魅力を発信します

当たり前の日曜日

2020.10.26(月)

昨日(25日(日))は、「九州一の鉄塔」へ行ってまいりました。
えぇそのとおり、一昨日(24日(土))の雪辱戦です(笑)・・・あ、一昨日のことはコチラには書いていませんでしたね(^ω^;) 興味のある方は、以下のリンク先をご覧ください。

fuchigraphy.hatenablog.com

とその前に、午前中は、我が家から見えるグラウンドで走り回るサッカー少年たちの応援に、「上天草市松島総合センター“アロマ”」へ出かけてきました⚽٩(ˊᗜˋ*)وソレイケー

南に向いてる観客席(ジュディ・オ〇グ風に♪)は日当たり良好すぎで、逆光に目を細めてるのが疲れてきたため30分ほどの観戦で撤収しましたが、10月も終盤だというのに、というか、北海道じゃ中山峠や石北峠には雪が降ったというのに、ここ上天草はTシャツで十分・・・あぁ南国だぁ~🌴

ということで、昼からは本題の「九州一の鉄塔」への旅です(←おおげさ)。

日頃から行いがよろしい私のために、本日も“鷺の神様”はコンタクトの機会を授けて下さるはずだったのですが、何故か結構な確率で飛び立たれるという運の無さも手伝って、昨日よりは順調に目標への歩みが進みます🚶

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鉄塔と灯台コラボ

そして、やって来ました「九州一の鉄塔」
・・・からの「下大戸ノ鼻灯台」

この灯台は、「しもうとのはなとうだい」と読むようですが、ネットには「シモオウトノハナトウダイ」という記述もあり、どちらなのでしょうね。
せっかくなので、これを読んで下さっている方は正しい読みをコメントで教えて下さいませ。お待ちしております📝

そして、隣接する鉄塔については、足元の看板に「九州一の鉄塔(日本で2番目に高い)」と表記があり、九州電力のFacebookにも「九州で一番高い鉄塔は、熊本県天草地方にある苓北火力線の送電鉄塔で、地上からの高さは195mもあり、九州で一番高い鉄塔です。でも「195mもある」といってもなかなかピンときませんよね。送電鉄塔は、電圧、容量、地形などに応じて、大きさや形はさまざまですが、みなさんが普段目にする鉄塔の高さは約40m程度ですので、その約5倍の高さということになります。実はこの九州一の鉄塔は二基存在しており、もう一基は対岸の維和島に立っています。鉄塔を高く頑丈にする理由は、電線が重みでたわんだ状態でも、その下を船が安全に航行できるようにするためです。」と紹介がありました。

では「日本で一番高い鉄塔は?」と調べましたら、その高さ226mを誇る広島県竹原市の大久野島に立つ「中国電力大三島支線No.11」だそうです。そして、その近くに大崎火力線の223mの送電鉄塔が立っており、苓北火力線の送電鉄塔である九州一の鉄塔は、実は「日本で3番目に高い」というのが現在の状況のようです。

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巨大ロボット現る

さて、この阿村側の「九州一の鉄塔」と、海を挟んだ維和側の「九州一の鉄塔」を見通せるといいなぁと淡い期待を胸に歩いて来ましたが、現実は無慈悲で、高台に鎮座する金刀比羅宮からも見えやしない(´;ω;`)
結局は、あのキレイなワンド辺りから眺めるのがベスポジになるのでしょうかねぇ・・・ま、肝心な眺望は思い描いたものと違いましたが、「九州一の鉄塔のひとつ手前の鉄塔」の“キング・ジョー”と出会えましたので、ヨシとしました。

え?キング・ジョーではなく“クレージーゴン”だろうってΣ(º ロ º๑)? ・・・そんなアナタは超ウルトラマニア🎯

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カモメが飛んだ日

帰り道は、頭の上を飛び交う海鳥が落とし物をしないか心配でしたが、ほどよい疲労感とともに無事に帰宅し、本日の散歩は終了です('▽'*)オツカレー

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祈りの鐘

時系列は前後しますが、サッカー観戦の前、グラウンドから聞こえる歓声を聞きながら初めてアロマ内へ行ってまいりました。
今月21日から28日まで開催されている、「ふるさと、天草に帰る ~菊池恵楓園絵画クラブ金陽会作品展~」を鑑賞するためです。

国立ハンセン病療養所「菊池恵楓園」で発足したこの絵画クラブに所属する天草出身のメンバーの作品を中心に数多くの作品が展示されていましたが、キャプションを読んでから改めて作品を見直すと、「日常」が奪われ、”らい予防法“が廃止された後も差別・偏見はなくならず、尊い「人生」が奪われた方々の「心の声」がリフレインし、得も言われぬ思いでいっぱいになってしまいました。

当たり前だった「日常」が当たり前でなくなる。これは、地域生活においても同様のことが言えると思います。
近所のひとが気にかけてくれる、何かあれば手を差し伸べてくれる・・・そんな「今」が「この先」もあり続けることは“当たり前”でないワケで、だからこそ“当たり前”ではない「今」を「この先」につなげるべく“何か”を講じたり興す必要があるわけですよね。

この先も馴染んだ地域で暮らしてゆけるよう、その“何か”を皆さんと一緒に考えてゆきたい、改めてそう思いました。